昨夜遅く 倒れた夫は生き返った |
ルッコラが見えて来たと 喜んで大騒ぎ。
種を植えてからの経過を 毎日何度もミニ温室へ見に行く。
小さな苗はクレソン・・・
夜中はずっと電灯をつけて 光を当て成長を早めている。
おまけに苗が冷えないよう
すだれなども掛けて保温を保つようにしている。
畑を見ながら 夫一人 外で食べる準備をした。
今年初めて収穫した富有柿・レタスなどの野菜・カスピ海ヨーグルトに蜂蜜
酵母胡桃パン・ヤクルト・コーンスープなど ある物だけの食事。
夫は順調に夜まで農作業などをこなし よく動き回った。
夕食後 ちょっと休むと言ってベッドに入った。
10時半過ぎ私は家事や趣味を終え 電気毛布の中に入った。
し あ わ せな瞬間だった。
私が寝ようとすると 夫は起き上がりお水を飲もうと冷蔵庫へ~
「たすけて たすけて・・・」と 消えそうな小さな声で夫が言った。
体に湿布を貼るのかな?と思ったので
もうちょっと温まってから~と思っていた処
バタンと 大きな音がした。
上を向いて 夫が真っ青な顔をして倒れている。
死人のような顔色で意識を失っていた。
次第に顔は どす黒く茶色のようなおかしな色に変化してきた。
119 に無我夢中で電話していた。
落ち着いた男性の声で 状況を教えて欲しいと・・・
頭が定まらず 何をどう応えたのか慌ててうろたえた。
途中で気が付いた時は手も体も震え 意識が遠のいた夫が目を開けた。
オッチャン・・・何とか生きている。
寒いと会話が出来たので 布団を掛けた。
顔色は15分くらい変わらず土色で
最期にいい顔を見せてくれたから もうアカンかも・・・
死んだらどうしよう?と思ったのと
「長いこと お世話になりました。お父ちゃん有り難う」と心で呟いた。
そして ふと葬儀のことを考えた。
こんな田舎では 本土から葬儀に来て頂くだけで迷惑が掛かる。
前々から話していたように家族葬で ひっそりお別れしよう~と決めた。
その後は 落ち着いて本土でお食事会でも・・・と
ほんの数分で 具体的にまとまった思いや考えが浮かんだ。
そうこうしている内に 約10分ほどで救急車が途中の道までピポピポ~
4人の隊員が来た時は 助けに来てくれた!と思い心からホッとした。
運よくかつて夫も掛かっていた医療センターに運ばれ
夜勤医が脳のCTや血液検査をして下さった。
丁寧な説明を詳しくして下さって 親切な医師で本当に良かった。
脳は異常なし。本人は右脳がしびれた感じと言うがニコチン中毒?
先月の町ぐるみ検診で 偶々心電図を計っていた時
不整脈が現れ その話をした処 循環器科を受診した方が良いと勧められた。
一先ず落ち着いたので 遠い距離をタクシーで午前2時に帰宅した。
医療費 凡そ15000円 タクシー代5060円
歳をとることは お金が必要なのだと思った
この様なことがあっても タバコをやめられない夫・・・
これでもタバコを吸いたいのか?と いのちを大事にして!と無性に腹が立った。
今まで なんど愛想を尽かしたか。
また 私は気が狂ったように怒りでカンカン。
オッチャンは 癌になってもたばこは吸い続けると言ったが
このカチカチ どたま
倒れた時からの状況を娘にメールしたが 仕事中は携帯を見ないそうで時間が経ってから知ったそうな~
朝にはロンドンとfacetime・・・
もう一度倒れたり 吐けば救急で来るようにと医師に言われたが
命を大事にしない夫・・・これから どうすれば良かろうか?
どちらにしても 何時どうなるか分からない年齢・・・
エンディングノートに娘が困らないよう 書き留めるべきだと思った。
夜中の3時間余りに 死んだような夫の姿を見て怖く
それでも 冷静に葬儀を考えたことを夫に話すと
「アホか!」と思いも寄らぬ大声で怒られた。
なんでやねん。
救急車に同乗した時 斜め掛けバックを持ち中にはお金も携帯もnothing
夫の下着や靴下 お薬手帳だけをカバンに入れ それはそれで良かったが
私の格好に思わず苦笑い。
慌てないように 落ち着いて行動できるように地震の訓練と同じだと思った。
私はいつ入院しても良い様に一つの大きな鞄に入院生活に必要な物を詰めているが
咄嗟の時には 人は面白い行動をするな~とおかしくなった。
今朝はお互い気持ちも落ち着き
夫「昨日はご迷惑をおかけしました」
私「生きていてくれて有り難う」と 本心を素直に言えたのが不思議。
みなさまも 思いも寄らぬ出来事が起こった時
慌てないでくださいね。
変なブログになりましたが スルーして下さい。